「自分の人生なのに、自分で選んでいない」。僧侶顧問という事業の原点には、代表・鈴木秀彰自身が長く抱えてきた、ひとつの問いがあります。
寺に生まれた、葛藤
「継ぐ人」として見られて
鈴木秀彰は、山梨のお寺に生まれました。物心ついたときから、周囲は彼を「寺を継ぐ人」として見ていました。それは温かなまなざしであると同時に、すでに敷かれたレールでもありました。「自分の人生なのに、自分で選んでいない」——その違和感は、若い鈴木の心に静かに、しかし深く根を張っていきました。
敷かれた道を進むのか、それとも自分の足で歩くのか。多くの人が一度は向き合うこの問いに、鈴木は早くから直面することになります。彼が選んだのは、いったん寺の外に出て、自分自身の道を探すことでした。
医療への道、そしてホスピスへ
鈴木は医師を志し、医学部を受験しようかとしました。しかし、その挑戦は実りませんでした。進学したのは仏教大学。皮肉にも、一度は離れようとした仏教の世界へと、再び引き寄せられることになります。それでも医療への思いを諦めきれず、理学療法士の資格を取得しました。
やがて鈴木が身を置いたのは、ホスピスの現場でした。人生の最終章を迎える人々に寄り添う場所です。そこで鈴木は、1000名を超える方々の看取りに関わることになります。死を前にした人が何を思い、何を語り、何を遺していくのか。その一つひとつに立ち会う日々は、彼の人間観を根底から形づくっていきました。
「お坊さんは、無力なのかもしれない」
ホスピスでの日々のなかで、鈴木はある無力感に直面します。人生の最期に「お坊さんを求める人は、100人に1人くらい」だったのです。僧侶という存在は、こうした場面でこそ求められるはずだと思っていた。けれど現実は違った。「お坊さんは、無力なのかもしれない」——その思いが、彼の胸に重くのしかかりました。
しかし、この無力感こそが、大きな転機となります。鈴木は気づいたのです。僧侶の役割とは、正しい言葉や立派な答えを渡すことではない。「その人が、その人自身の本音に戻れる場をつくること」なのだと。教えを説くのではなく、ただそばにいて、相手の声に耳を傾け、沈黙を受け止める。人は最期の時、肩書きや形式ではなく、自分自身の本音へと還っていく。その瞬間に寄り添えることこそが、僧侶にできる最も大切なことだと知ったのです。
生き方としての僧侶、そして事業へ
こうした歩みを経て、鈴木はひとつの確信にたどり着きます。それは、僧侶とは“職業”である前に“生き方”だということ。そして、自分にとっての生きる意味——本人の言葉を借りれば「自分の本音と、自分の役割が重なる場所で生きること」——を見出したのです。誰かに決められた役割ではなく、内側から立ち上がる本音と、目の前の人から必要とされる役割が重なる場所。そこにこそ、自分の生きる道があると。
この気づきは、終末期の現場だけのものではありませんでした。鈴木は、企業や組織のなかにも同じ構造があることに気づきます。「事業にも、本音がある。何のためにやっているのか。そこに戻らないと、人も組織も苦しくなっていく」。役割や成果に追われ、本音を見失った組織は、ホスピスで出会った人々と同じように、どこかで苦しさを抱えている。ならば、自分がホスピスで果たしてきた役割を、企業のなかでも果たせるのではないか——。
そうして生まれたのが、僧侶顧問という事業です。組織のなかに入り、一人ひとりが本音に還れる場をつくる。経営者が「本当は、どうありたいのか」「何のために、この事業をしているのか」という根本の問いに向き合えるよう、隣で伴走する。すぐに答えを出すことを急がず、問いを立て、言葉を待ち、沈黙を受け止める。それは、鈴木がホスピスの現場で体得した関わり方そのものです。
「自分の人生を、自分の足で生きる」。寺に生まれた葛藤から始まった鈴木の歩みは、めぐりめぐって、人と組織が本来の姿に還っていくことを支える仕事へと結実しました。あなたの組織にも、言葉になる前の声が、きっとあるはずです。その声に、静かに耳を傾けさせてください。
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