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なぜ、私は「僧侶顧問」という道を歩んでいるのか

僧侶としての原点

これは、僧侶顧問・鈴木秀彰が自身の言葉で綴った文章です。僧侶とは本来どのような存在なのか——その問いから歩んできた道のりをお伝えします。

この記事の要点

僧侶顧問・鈴木秀彰は、約1,500年の歴史を持つ寺に生まれ、真言宗の僧侶として歩み始めました。しかし「僧侶=葬儀や法事を行う人」という現状に違和感を抱き続け、理学療法士としてホスピスの現場に身を置きます。「人生の最期を迎える方にこそ僧侶が必要とされるはずだ」と考えていたものの、現実に僧侶を求めた患者は約100人中1人ほどでした。この経験から、鈴木は「僧侶が必要とされなくなったのではなく、必要とされる場所へ歩み出せていないのではないか」と考えるようになり、実家の寺院を継承する道ではなく、社会の中で人や組織と向き合う道を選びます。それが「僧侶顧問」として歩み続ける理由です。

私は、約1,500年の歴史を持つ寺に生まれ、真言宗の僧侶として歩み始めました。しかし出家した当初から、僧侶の役割が「葬儀や法事を行う人」として限定されている現状に、強い違和感を抱いていました。

「僧侶とは、本来どのような存在なのか」

葬儀を行う人、という以上の役割

静かな眼差しでこちらを見る、僧侶姿の男性の横顔

本来、仏教は亡くなった人のためだけではなく、生きている人がよりよく生きるための智慧です。そう信じながらも、私は自分の中にある「僧侶とは本来、どのような存在なのか」という問いを、ずっと手放せずにいました。

その問いを抱えたまま、私は日本各地の霊地を巡り、山伏修行に参加し、法話を重ねてきました。「死」をテーマにした対話会や瞑想会を開くなど、答えを頭で考えるのではなく、身体を動かしながら探し続ける日々でした。

ホスピスの現場で知った、大きな転機

「100人に1人」という現実

穏やかな光の差す部屋で、手を取り寄り添うような看取り・ケアの優しい場面

私にとって大きな転機となったのが、理学療法士として終末期医療(ホスピス)の現場に身を置いた経験です。当時の私は、「人生の最期を迎える方にこそ、僧侶が必要とされるはずだ」と考えていました。

しかし、現実は違いました。約100人の患者さんがいた病棟で、僧侶が求められたのは、わずか1人ほどだったのです。

僧侶が社会から必要とされなくなったのではない。必要とされる場所へ、僧侶の側が歩み出せていないのではないか。

その現実を目の当たりにしたとき、私は深くそう考えるようになりました。求められていないのではなく、届いていないだけなのかもしれない、と。

実家の寺を継がず、社会の中へ

そして私は、実家の寺院を継承する道ではなく、自ら社会の中へ出て、人や組織と向き合う道を選びました。

これまで個人への伴走支援を続けるなかで、多くの経営者やリーダーが、孤独のなかで意思決定を行い、本音を語る場を持てずにいる現実にも数多く出会いました。だからこそ現在は、個人への支援に加え、企業や組織への支援にも力を注いでいます。

「僧侶顧問」として歩み続ける理由

僧侶とは、亡くなった人のためだけにいる存在ではありません。迷い、悩み、決断しながら生きる人に寄り添い、本質を問い、心を整え、人が本来持つ力を引き出す存在である。私はそう考えています。

企業の理念が現場で生き、人が安心して挑戦できる組織を育てること。それが、現代における僧侶の新しい役割であり、私が「僧侶顧問」として歩み続ける理由です。

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