僧侶であり理学療法士でもある鈴木秀彰は、「8割くらいの人には僧侶が必要とされるだろう」と想定してホスピス病棟に入りましたが、実際の需要は「100人に1人」ほどでした(数値はいずれも本人の当時の実感にもとづく表現です)。100件以上の葬式を担ってきた自負は崩れ、「僧侶として何もできない」という無力感に苛まれます。しかし彼はその落差をなかったことにせず、「では、自分に何ができるのか」「死とは、生きるとは何か」という問いへと変えていきました。無力感こそが、死生観を深める出発点になったのです。
これは、僧侶顧問の代表・鈴木秀彰自身の経験にもとづくコラムです。鈴木は僧侶でありながら、理学療法士でもあります。「僧侶と理学療法士に、交わる点はないだろうか」――その問いから、彼はホスピス病棟に勤務することになりました。「死にゆく人にこそ、僧侶という役割は必要とされるはずだ」。そう信じて現場に入った鈴木を待っていたのは、しかし、想定とはまるで違う現実でした。この記事では、彼が味わった無力感と、それがどのように死生観を深めるきっかけになったのかを振り返ります。(2026年7月時点)
なぜ「死にゆく人には僧侶が必要とされる」と考えたのか?
葬式という「死後」の役割ばかりだった
僧侶顧問・鈴木秀彰がそう考えたのは、数多くの死を見送ってきたという自負があったからです。ホスピスに入るまで、鈴木が僧侶として関わってきたのは、葬式をはじめとする「死後」の役割が中心でした。亡くなった方を送る。その務めを、彼は当時、100件以上も担っていたといいます。数多くの死に立ち会ってきた――そう聞けば、死にゆく人に対しても自然に関われるだろう、と思うかもしれません。ところが、亡くなった後に関わることと、まさに死にゆく人に直接対面することは、まったく別のことだったのです。
「僧侶と理学療法士に、交わる点はないか」。この問いを抱えた鈴木は、理学療法士としてホスピス病棟に勤務します。そして「死にゆく人には、僧侶という役割が必要とされるのではないか」と考え、看取りの現場に足を踏み入れました。死後ではなく、まさに死のうとしている人のそばへ。それは、彼にとって初めての領域でした。
想定は「8割」、現実は「100人に1人」
現場に入る前、鈴木は「8割くらいの人には必要とされるだろう」と想定していました。10人いれば、8人くらいは僧侶の話を聞きたい、お経を唱えてほしいと感じるはずだ、と。多くの死を見送ってきた自負が、その予想を支えていたのかもしれません。
ところが、現実はその予想を大きく裏切ります。実際に僧侶の話を聞きたい、お経を唱えてほしいという需要は、「100人いて1人くらい」の感覚でしかなかったのです。想定は8割、現実は100分の1。この落差は、数字以上に重く鈴木にのしかかりました(ここで挙げている数値は本人の当時の実感にもとづく表現です)。
| 現場に入る前の想定 | 10人いれば8人くらいは僧侶の話を聞きたい、お経を唱えてほしいと感じるはずだ――「8割くらいの人には必要とされるだろう」。 |
|---|---|
| 実際の現場 | 僧侶の話を聞きたい、お経を唱えてほしいという需要は「100人いて1人くらい」の感覚でしかなかった。 |
「こんなに必要とされない、ということがすごく大きな、私の中でのきっかけになりました」(鈴木秀彰)
ホスピスで僧侶が味わった無力感とは、どのようなものか?
死にゆく人に初めて対面したとき、僧侶顧問・鈴木秀彰を襲ったのは、強烈な無力感でした。僧侶として、自分は何もできない。目の前の人に、差し出せるものがない。その事実に苛まれ、彼は「すごく逃げたくなった」と正直に語ります。数多くの葬式を担い、僧侶としての経験を積んできたはずの自分が、いざ死にゆく人の前では立ち尽くすしかなかったのです。
この無力感の原因を、鈴木はのちにこう整理しています。それは、「僧侶=死後の役割」という自分自身の前提と、現場で本当に求められていたものとのギャップでした。彼は「死にゆく人に必要とされる」と信じていた。けれど現場では、僧侶としての役割はほとんど求められていなかった。想定と現実の落差が、そのまま無力感となって突き刺さったのです。
「初めて死にゆく人のところに関わった時に、何もできない、僧侶として何もできないという無力感にすごく苛まれて、すごく逃げたくなりました」(鈴木秀彰)
無力感は、どのように問いへと変わっていったのか?
「自分に何ができるのか」を考えはじめる
無力感は、「では、自分に何ができるのか」という問いへと姿を変えていきました。逃げ出したくなるほどの無力感。しかし、僧侶顧問・鈴木秀彰はそこで立ち止まりませんでした。「こんなに必要とされないのか」という衝撃が、彼のなかで問いに変わったのです。役割が求められないなら、肩書きを脇に置いて、一人の人間として何ができるのか。無力感は、彼を打ちのめすだけでは終わらず、深く考えるための入り口になったのです。
同時に鈴木は、「死とは何か」「生きるとは何か」という、より根源的な問いにも向き合いはじめます。死にゆく人のそばで立ち尽くした経験が、死生観そのものを考えるきっかけになりました。想定どおりに「必要とされて」いたら、彼はこれほど深く死と生を見つめることはなかったかもしれません。皮肉なことに、無力感こそが、その後の歩みを支える土台になっていきました。
落差を、なかったことにしない
鈴木の経験から見えてくるのは、想定と現実の落差を「なかったこと」にしなかった姿勢です。8割のはずが100分の1だった――この現実を前にすれば、「自分の考えが甘かった」と自分を責めて終わることも、現場から距離を置くこともできたでしょう。けれど鈴木は、その落差そのものを問いとして引き受けました。なぜ必要とされないのか。では自分は何をすべきなのか。落差から目をそらさなかったことが、次の気づきへの道を開いたのです。
これは、事業や仕事の場面にも通じる話かもしれません。「求められているはずだ」という思い込みと、現場の実際の反応が食い違うことは、珍しくありません。そのとき、落差をなかったことにするのか、それとも問いとして引き受けるのか。その分かれ道が、その後の歩みを大きく左右します。
「必要とされない」経験は、なぜ死生観の出発点になるのか?
役割ではなく、在り方を問う
ホスピスでの経験は、僧侶顧問・鈴木秀彰に「役割」から「在り方」へと視点を移させました。僧侶という役割が求められないのなら、役割の外側で、自分はどう在ればいいのか。この問いは、のちに「僧侶は本来、死者ではなく生きている人にこそ関わる役割ではないか」という気づきへとつながっていきます。無力感から始まった思索は、彼の僧侶としての在り方そのものを、根本から捉え直させることになりました。
死生観とは、特別な人だけが持つものではありません。誰もが、いつか必ず死に向かっていきます。その事実から目をそらさずに「どう生きたいか」を考えること――それが死生観です。鈴木の場合、そのきっかけは、華々しい成功ではなく、「何もできない」という無力感でした。うまくいかなかった経験こそが、深い問いの入り口になる。彼の歩みは、そのことを静かに教えてくれます。
数多くの死を見送った経験は、一人に向き合う場面で通用するのか?
100件の経験が、通用しなかった
多くの死を「送って」きた経験は、まさに死のうとしている一人の人に「向き合う」場面では、そのままの形では通用しませんでした。ここであらためて立ち止まりたいのは、僧侶顧問・鈴木秀彰がすでに100件以上の葬式を担ってきた僧侶だった、という事実です。それだけの死に立ち会ってきた経験があれば、死にゆく人の前でも動じずにいられる――そう考えるのが自然でしょう。ところが現実は逆だったのです。
この落差は、私たちの日常にも重なります。数をこなしてきた実績と、目の前のたった一人にきちんと向き合えるかどうかは、別の能力です。何百件の対応経験があっても、いま隣にいる一人の不安や願いに応えられるとは限りません。鈴木がホスピスで突きつけられたのは、まさにその違いでした。経験の量が、必ずしも「この人に何ができるか」への答えにはならない――そのことを、彼は身をもって知ったのです。
それでも、経験は無駄にならなかった
とはいえ、100件以上の葬式に立ち会ってきた経験が、まったく意味を失ったわけではありません。むしろ、数多くの死を見つめ続けてきたからこそ、鈴木はのちに、死にゆく人の前でも過度に怖がらず、落ち着いてそばに居つづけられるようになっていきます。現場で一度は崩れた経験が、形を変えて生き直される。無力感を通り抜けたからこそ、経験は「役割」ではなく「在り方」を支えるものへと変わっていったのです。
まとめ――無力感は、思索の入り口になる
「死にゆく人には僧侶が必要とされる」。8割はそう感じるはずだという想定は、100人に1人という現実の前で崩れました。鈴木秀彰が味わったのは、「僧侶として何もできない」という強い無力感です。しかし彼は、その落差をなかったことにせず、「では自分に何ができるのか」「死とは、生きるとは何か」という問いへと変えていきました。必要とされなかった経験こそが、彼の死生観を深める出発点になったのです。
僧侶顧問は、経営者や事業に関わる方が抱える「本当は、どうありたいのか」という問いに、隣で伴走します。思うようにいかない現実や、想定との落差に立ち尽くすとき。その無力感を、責める材料ではなく、問いの入り口として受け止め直す。鈴木自身が通ってきた道だからこそ、その静かな伴走ができます。
初回相談(30分無料)を申し込む
