経営者に死生観を持つ人が多いのは、経営者にとっての「死」=会社の倒産であり、その危機を実際にくぐり抜けているからです。資金が尽きかける経験は「事業は永遠には続かない」という有限性を突きつけます。僧侶顧問・鈴木秀彰は、この有限性の自覚こそが人を動かす「命のスイッチ」だと語ります。死を遠ざけるのではなく直視することが、「何のためにこの事業を続けるのか」という原点を照らし出します。
「死について考えよう」と口にすると、たいてい場の空気が変わります。縁起でもない、考えたくない――そう感じる人は少なくありません。ところが僧侶顧問の代表・鈴木秀彰は、経営者と関わるなかで、あることに気づいたと言います。「経営者の方には、死生観を持っている人が多い」。本コラムでは、鈴木自身の観察をもとに、死がタブー視される理由と、有限性が事業を動かす構造を見ていきます。(2026年7月時点)
なぜ日本では「死」がタブー視されるのか?
僧侶でさえ「病んでるのか」と言われる
日本で死がタブー視される理由を、僧侶顧問・鈴木秀彰は「終わってしまう怖さ」と「死を身近に感じる機会の減少」の二つだと見ています。鈴木自身、僧侶でありながら飲み会の席で死の話を持ち出すと「病んでるのか」と言われることがある、と苦笑します。死を語ることそのものが、どこか後ろめたいこと、避けるべきことと見なされている。それが今の空気です。
| 怖さ | 自分という存在がなくなること、積み上げてきたものが失われることへの根源的な恐れ。 |
|---|---|
| 機会の減少 | 核家族化が進み、祖父母と暮らさない家庭が増えた。人が亡くなる場面に立ち会う機会そのものが少なくなった。 |
怖さと、機会の減少。この二つが重なって、死は「考えないほうがいいもの」として遠ざけられていったのです。
「この問いはタブー視するべきではなくて、むしろ率先して死を考えていくこと(が大切だ)」(鈴木秀彰)
なぜ経営者は死生観を持っている人が多いのか?
経営者に死生観を持つ人が多い理由について、僧侶顧問・鈴木秀彰の見立てはこうです。経営者にとっての「死」とは、会社の倒産にほかならない――そして多くの経営者は、その危機を実際に経験している、と。
資金が「あと何万円しかない」という状況に追い込まれた経験。取引が途絶え、明日の資金繰りが見えなくなる夜。多くの経営者は、創業初期にこうした“会社にとっての死”を、身をもって経験しています。鈴木はそれを「結構みなさん、死の経験をしているんだな」と表現します。倒産寸前という極限で、事業の有限性――永遠には続かないという事実――を突きつけられる。その経験が、否応なく死生観の土台になっていくというのです。
※ここで挙げている金額はあくまで例示的な表現であり、特定の数値を保証するものではありません。要点は、経営者が「終わりの可能性」を肌で知っているという点にあります。
有限性はなぜ事業の原動力になるのか?
限りを自覚することが、原動力になる
命が有限だと自覚すること。僧侶顧問・鈴木秀彰はこれを「命のスイッチ」と呼びます。永遠に続くと思っているうちは、人はなかなか本気になれません。しかし「終わりがある」と腹の底で理解したとき、限られた時間で何を成すのかという問いが立ち上がり、それが新しい事業や創業へと人を突き動かす。有限性は、恐れの源であると同時に、行動のエンジンにもなるのです。
鈴木は歴史上の例として松下幸之助を挙げます。若い頃に大病を患い、自分の命の危機と有限性を強く自覚したことが、その後の事業につながっていったのではないか、と。ただし、これは史実そのものではなく、あくまで鈴木個人の解釈にもとづく見方です。断定ではなく、有限性と事業のつながりを考えるための一つの手がかりとして受け止めてください。
だから、率先して死を考える
死生観は、「どう生きるか・どう働くか・どう学ぶか」という行動指針の軸になる。だからこそ、タブー視して蓋をするのではなく、むしろ率先して考えたほうがいい。これが鈴木の一貫した提案です。とりわけ経営者にとって、自社の「終わり」を直視することは、逆説的に「何のためにこの事業を続けるのか」という原点を照らし出す作業になります。
「終わり」を直視する経営者は何が違うのか?
有限だからこそ、注ぎどころを選べる
倒産という“会社の死”をくぐり抜けた経営者には、独特の落ち着きがあると僧侶顧問・鈴木秀彰は感じています。それは、会社が永遠には続かないという前提を、頭ではなく身体で知っているからです。資源も、時間も、自分の命も限りがある。その事実を直視できる人は、「あれもこれも」と手を広げるのではなく、「本当に大切なものはどれか」を選び取ることができます。有限性の自覚は、恐れであると同時に、決断の解像度を上げる力にもなるのです。
逆に、終わりを見ないようにしていると、日々の判断はどうしても先送りになりがちです。いつかやろう、まだ大丈夫――そうしているうちに、限られた時間だけが静かに減っていく。死生観を持つとは、悲観的になることではなく、この「限り」から目をそらさずに今を選ぶ姿勢のことだと言えます。
核家族化が奪った、死を考える機会
僧侶顧問・鈴木秀彰は、死がタブー視されるもう一つの背景として、核家族化を挙げます。かつては祖父母と同じ家に暮らし、身近な人を看取ることが人生のなかに自然に組み込まれていました。ところが今は、祖父母と離れて暮らす家庭が増え、人が亡くなる現場に立ち会う機会そのものが減っています。死が「見えないもの」になれば、考えるきっかけも失われていく。これは経営者も例外ではありません。だからこそ、意識して死生観に触れる時間を持つことに、静かな価値があるのです。
まとめ――終わりを見つめることが、始まりを支える
死がタブー視されるのは、終わることへの怖さと、死を身近に感じる機会の減少が背景にあります。一方で、倒産という“会社の死”を経験した経営者は、有限性を肌で知り、それを事業の原動力に変えてきました。終わりを見つめることは、決して後ろ向きな行為ではなく、むしろ「何のために」という原点に立ち返るための、力強い一歩になり得ます。
僧侶顧問は、経営者が孤独のなかで抱える「本当は、どうありたいのか」という問いに、隣で伴走します。答えを急がず、問いを立て、言葉を待つ。有限性という重いテーマを、静かに、けれど確かに、経営の力へと変えていくお手伝いをします。
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