Column

実家の寺を継がない決断

3つの修行と死生観が導いた「生きている人に関わる」道

住職だった父の事故をきっかけに、寺の継承を突きつけられた僧侶・鈴木秀彰。お遍路・山伏・護摩という3つの修行を経て、なぜ「継がない」を選んだのか。代表・鈴木秀彰自身の経験からたどります。

この記事の要点

僧侶顧問・鈴木秀彰が実家の寺を継がなかったのは、「自分が死ぬ時に後悔しない道は何か」という死生観を、決断の軸に据えたからです。相談した相手は誰ひとり「継がないほうがいい」とは言いませんでした。お遍路・山伏・護摩という3つの修行はいずれも当初の目的を果たせず、答えは外からではなく「自分の道は自分で選べばいい」という内側の気づきとしてやってきました。僧侶として生きる道は受け継ぎ、生きている人に関わるために起業する道を選びます。

これは、僧侶顧問の代表・鈴木秀彰自身の経験にもとづくコラムです。実家の寺を継ぐか、継がないか。住職である父の事故によって、その問いは突然、鈴木の目の前に突きつけられました。相談した相手は誰ひとり「継がないほうがいい」とは言いませんでした。それでも鈴木は、すぐには決断できずにいました。この記事では、彼が3つの修行を経て、最終的に「実家の寺は継がない。その分、生きている人に関わる」という道を選ぶまでの過程を、本人の言葉に沿って振り返ります。(2026年7月時点)

なぜ突然、「寺の継承」という問いが突きつけられたのか?

数ヶ月の代行のはずが

朝もやの中に佇む日本庭園と寺院の静かな風景

きっかけは、住職を務めていた父の事故でした。父が事故に遭って入院し、住職ができない状態になり、僧侶顧問・鈴木秀彰は当初「数ヶ月の代行」という気持ちで住職代行を引き受けます。あくまで一時的なもの――そう思っていました。ところが、退院した父が再び事故に遭い、ついに住職を続けられなくなってしまいます。「数ヶ月だけ」のはずだった代行は、そのまま「では、この寺をどうするのか」という重い問いへと姿を変えていきました。

寺の継承は、一人の人間の進路の問題であると同時に、家系や地域、檀家との関係が幾重にも絡み合うものです。鈴木は、この問いを一人で抱え込むわけにもいかず、周囲のさまざまな人に相談しました。しかし返ってきた言葉は、ある意味で予想を超えていました。

誰ひとり「継がなくていい」とは言わなかった

相談した相手は、誰ひとりとして「継承しないほうがいい」とは言いませんでした。それどころか、「継承する以外に親孝行はない」とまで言う人もいたといいます。周囲の総意は、はっきりと「継ぐべきだ」に傾いていました。

それでも鈴木は、心のどこかで「このまま進んでいいのか」という引っかかりを消せずにいました。周りの声はすべて一方向を指している。反対する人は誰もいない。にもかかわらず、自分のなかで「はい」と言いきれない。この宙づりの感覚こそ、彼をその後の行動へと向かわせる出発点になりました。

「自分が死んだ時に後悔しない道は何だろう」(鈴木秀彰)

寺を継ぐ覚悟を問うために、どんな修行をしたのか?

障子越しの光が差し込む和室で静かに座り物思いにふける人物

相談した相手が誰ひとり「継がないほうがいい」と言わないなかで、周囲の言葉だけでは決めきれない。だからこそ僧侶顧問・鈴木秀彰は、「自分が死ぬ時に後悔しない道は何か」という死生観を軸に据え、僧侶としての覚悟をあらためて問い直そうとしました。その手段として選んだのが、お遍路・山伏・護摩という3つの修行でした。頭で考えるのではなく、身体を通して答えを探そうとしたのです。

1つ目:四国のお遍路歩き遍路として約1週間歩き続けたが、途中で葬式に呼ばれ、突然帰宅することになり中断。
2つ目:山伏修行内容は「秘密」。素晴らしい体験だったと振り返る一方、「何も変わらなかった」と述懐する。
3つ目:護摩修行指導を予定していた阿闍梨(あじゃり)様が病気になり、修行そのものが実施できなくなった。

1つ目――四国のお遍路

1つ目は、四国のお遍路。歩き遍路として、約1週間、自分の足で歩き続けました。ただし、この遍路は途中で思いがけない形で中断されます。歩いている最中に葬式に呼ばれ、突然帰宅することになったのです。生と死をめぐる問いを歩きながら見つめていたその道のりが、まさに「死」に関わる僧侶の務めによって断ち切られる。象徴的な出来事だったと言えるかもしれません(期間や経緯は本人の記憶にもとづくものです)。

2つ目――山伏修行

2つ目は、山伏修行。その内容について、鈴木は「秘密」として多くを語りません。素晴らしい体験だったと振り返る一方で、彼はこうも述懐します。「何も変わらなかった」。厳しい修行を経れば、何かがはっきりと変わり、覚悟が定まる――そんな期待があったのかもしれません。しかし現実には、期待したような劇的な変化は訪れなかったのです。

3つ目――護摩修行、そして中断

3つ目は、火を焚く護摩修行でした。鈴木は真言宗の僧侶であり、護摩は宗派に根ざした大切な修行です。ところが、指導を予定していた阿闍梨(あじゃり)様が病気になってしまい、この修行そのものが実施できなくなりました。こうして、覚悟を得るために選んだ3つの修行は、いずれも当初の目的を果たせないまま終わっていきます。遍路は中断し、山伏では変わらず、護摩は指導者の病で不成立。外側から答えを得ようとする試みは、ことごとく空振りに終わったのです。

なぜ「継がない」という決断にたどり着いたのか?

外の修行ではなく、内側の気づき

3つの修行が果たせなかったことは、一見すると失敗の連続に見えます。しかし僧侶顧問・鈴木秀彰にとって、それは別の気づきへの入り口でした。外的な修行をいくら積んでも、答えは向こうからやってこない。むしろその過程で、自分が周囲の総意――「継承すべきだ」という声――に合わせて、自分を「枠に納めよう」としていたことに気づいていったのです。

転機になったのは、ある一曲との出会いでした。修行が次々と中断・不成立になるなかで、鈴木はあるアイドルの曲に出会い、号泣したといいます。その曲が伝えていたのは、「自分の道は自分で選べばいい」という趣旨のメッセージでした(曲名やアーティストは本人の記憶によるもので、ここでは特定していません)。他人の言葉ではなく、自分で選ぶ。そう腹をくくった瞬間、それまで背負っていた「鎧」が、すっと剥がれ落ちるような感覚があったと彼は語ります。

「自分の道は自分で選べばいい」(曲から受け取った趣旨)

継がない。その分、生きている人に関わる

こうして鈴木がたどり着いた答えは、周囲の総意とは異なるものでした。「実家のお寺を継承することは、申し訳ないけれどできない。その分、生きている人に関わっていこう」。家系として受け継いできた「僧侶として生きる」という生き方は、バトンとして確かに受け継ぐ。けれども、実家の寺そのものの継承はしない。代わりに、生きている人に関わるために起業する道を選んだのです。

この決断は、寺を「捨てる」こととは違います。僧侶であることをやめるのでもありません。むしろ、僧侶として何を大切にしたいのかを突き詰めた結果、たどり着いた選択でした。死生観――「自分が死ぬ時に後悔しない道は何か」という問い――が、人生の大きな岐路で、決断の軸として働いた実例だと言えます。

周囲の総意と自分の答えが食い違うとき、どうすればいいのか?

「正解」はひとつではない

僧侶顧問・鈴木秀彰の経験が示しているのは、周囲の総意が必ずしも自分にとっての正解とは限らない、ということです。相談した全員が「継ぐべきだ」と言い、反対する人が誰もいなかったとしても、それは「継ぐことが唯一の正解だ」という証明にはなりません。周囲の言葉は、その人たちの立場や価値観から生まれたもの。最終的にその道を歩き、その結果とともに生きていくのは、自分自身です。

だからこそ、大きな決断ほど、他人の答えを借りるのではなく、自分の内側にある問いに立ち返る必要があります。鈴木の場合、その問いが「自分が死ぬ時に後悔しない道は何か」でした。死を見つめることは、暗く後ろ向きな行為ではなく、むしろ「どう生きたいか」を照らし出す作業だったのです。

決められないことは、弱さではない

付け加えておきたいのは、鈴木がすぐに決断できなかったこと自体は、決して弱さではないということです。周囲の声と自分の感覚が食い違うとき、簡単に割り切れないのはむしろ自然なことです。彼は宙づりの感覚を抱えたまま、遍路を歩き、山にこもり、修行に身を投じました。答えが出ないまま行動し続けたその時間こそが、最終的に「自分で選ぶ」という気づきを引き寄せたのです。迷いを抱えたまま動き続けることにも、意味があります。

まとめ――自分で選んだ道は、後悔の質が変わる

実家の寺を継ぐか継がないか。周囲の総意は「継ぐべきだ」に傾いていました。鈴木秀彰は、その総意にすぐには従えず、お遍路・山伏・護摩という3つの修行に覚悟を求めました。しかしどれも当初の目的を果たせず、答えは外からではなく、「自分で道を選べばいい」という内側の気づきとしてやってきました。最終的に彼は、寺は継がず、僧侶として生きる道は受け継ぎ、生きている人に関わるために起業する――という自分だけの答えを選び取りました。

僧侶顧問は、経営者や事業に関わる方が抱える「本当は、どうありたいのか」という問いに、隣で伴走します。周囲の声と自分の感覚が食い違い、決断できずにいるとき。答えを急がず、問いを立て、言葉になるのを待つ。鈴木自身が歩いてきた道だからこそ、その迷いに静かに寄り添うことができます。

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