Column

家業を継ぐか迷ったとき

周囲の「継ぐべき」より、自分の道を選ぶということ

相談した誰もが「継ぐべきだ」と言う。そのなかで、どうやって自分の答えを選ぶのか。僧侶顧問・鈴木秀彰が実家の寺の継承を前に経験した葛藤から、家業と自分の道の選び方を考えます。

この記事の要点

家業を継ぐか迷うとき、相談する相手のほとんどが「継ぐべきだ」と言い、反対する人は誰もいない——だからこそ決断が難しくなります。僧侶顧問・鈴木秀彰も実家の寺の継承を前に、周囲の総意という枠に自分を納めようとして動けなくなりました。そこから抜け出す鍵は、新しい正解を探すことではなく、「他人の答えではなく、自分で選んでいい」と自分に許すこと。継ぐにせよ継がないにせよ、その手前で「これは自分が選んだ答えか」を問い直すことが、次へ進む力になります。

家業を継ぐべきか——この問いに直面したとき、多くの人が同じ壁にぶつかります。相談する相手のほとんどが「継ぐべきだ」と言い、「継がない方がいい」とは誰も言ってくれない。そんな一方向の空気のなかで、自分の本当の気持ちをどう扱えばいいのか分からなくなるのです。僧侶顧問の代表・鈴木秀彰もまた、実家の寺を継ぐかどうかの岐路で、まさにこの状況に立たされました。本コラムは、鈴木自身の経験にもとづく読み物です。周囲の総意と自分の道のあいだで揺れた時間を、一緒にたどってみます。(2026年7月時点)

なぜ家業を継ぐか相談するほど、答えが遠ざかるのか?

「継がない方がいい」とは、誰も言わなかった

机に向かいペンを手に静かに考えごとをする女性

相談するほど答えが遠ざかるのは、相談相手が誰ひとりとして「継承しない方がいい」とは言わないからです。僧侶顧問・鈴木秀彰の場合、相談すればするほど、決断はかえって難しくなっていきました。むしろ「継承する以外に親孝行はない」という言葉さえ返ってきたのです。家業を継ぐかどうかで悩む人が、まずすることは「相談」です。親、親族、恩師、付き合いの長い人——信頼できる相手に打ち明け、意見を聞く。ところが、その相談が一方向の答えばかりを返してくる。

周囲がそろって背中を押してくれる。ふつうなら心強いはずのその状況が、鈴木にとってはかえって身動きの取れないものになりました。全員が同じ方向を指しているとき、そこに「本当にそれでいいのか」という自分の小さな迷いを差し挟むのは、とても勇気のいることです。反対する人が一人もいないからこそ、「このまま進んでいいのか」と立ち止まる自分の声が、行き場を失っていったのです。

周囲の善意は、ときに逃げ場をなくす

ここで見つめておきたいのは、周囲の言葉に悪意はまったくなかった、ということです。みな鈴木を思い、家のことを思って「継ぐべきだ」と口にしていました。善意であることは間違いありません。けれど、善意で示された「正解」は、受け取る側にとっては断りにくいものにもなります。反対意見がないぶん、違う道を選ぶことは「みんなの期待を裏切ること」に見えてしまう。家業を継ぐかどうかの悩みが根深いのは、そこに損得だけでなく、恩や情、家の歴史といった、割り切れないものが幾重にも重なっているからです。

家業を継ぐか、なぜ自分で決められないのか?

古い経典と手書きのノートが並ぶ静かな和室の机

決められないのは意志が弱いからではなく、他人の答えを自分の答えとして採用しようとして、どこかで無理をしているからです。迷いのなかで僧侶顧問・鈴木秀彰が少しずつ気づいていったのは、自分が「周囲の総意という枠に、自分を納めようとしていた」という事実でした。みんなが継ぐべきだと言う。だから自分もそう思わなければいけない。そう考えて、自分の感覚のほうを押し込めようとしていたのです。

「自分の道は自分で選べばいい」

転機は、ふとした瞬間に訪れたと鈴木は振り返ります。ある曲の、「自分の道は自分で選べばいい」という趣旨の言葉に触れたとき、こらえていたものがあふれ、涙が止まらなくなった。誰かに新しい正解を教わったわけではありません。ただ、「他人の総意ではなく、自分で選んでいい」という当たり前のことを、心のほうがようやく受け取った瞬間でした。

背負っていた「鎧」が剥がれる感覚

自分で道を選ぶと決めたとき、鈴木は、それまで身につけていた「鎧」が剥がれ落ちるような感覚があったと語ります。継ぐべきだという期待、家を守らねばという責任、周囲を落胆させたくないという気持ち——そうしたものを一枚一枚まとって、いつのまにか重く固くなっていた。その鎧を、自分の意思で脱ぐことができた。反対を押し切ったというより、他人の答えで自分を覆うのをやめた、という感覚に近いものでした。

「継ぐ・継がない」の前に、問い直すこと

大切なのは、鈴木が「継がない」という結論そのものにたどり着いたことではありません。継ぐにせよ継がないにせよ、その手前で「これは本当に自分が選んだ答えか、それとも周囲の総意を採用しただけの答えか」を問い直したことです。家業を継ぐことが自分の心から出た選択であるなら、それはまぎれもなく尊い決断です。逆に、周囲がそう言うからという理由だけで進むのなら、どこかで無理が生じるかもしれない。継ぐか継がないかという二択の前に、「誰の答えで生きるのか」という問いがある——それが、鈴木の経験が指し示していることです。

この問い直しは、周囲を突き放すこととは違います。相談に乗ってくれた人たちの思いや、家が積み重ねてきた歴史を軽んじるわけではありません。むしろ、それらを十分に受けとめたうえで、最後の一歩だけは自分の足で踏み出す。周囲の言葉を「命令」として受け取るのか、それとも「大切な参考意見」として受け取るのか——同じ言葉でも、その置き場所が変わるだけで、心の重さはずいぶん変わります。鈴木が取り戻したのは、まさにこの「置き場所を自分で決める自由」でした。

自分で道を選ぶと、何が変わるのか?

受け継ぐものと、選び直すもの

僧侶顧問・鈴木秀彰は最終的に、実家の寺そのものを継ぐことは選びませんでした。けれど、「僧侶として生きる」という家系の歩みは、自分なりに受け継ぐと決めています。すべてを引き受けるか、すべてを手放すか、という極端な二択ではなく、「何を受け継ぎ、何を自分で選び直すか」を、自分の意思で仕分けたのです。

受け継いだもの「僧侶として生きる」という家系の歩み。自分なりのかたちで引き受けると決めた。
選び直したもの実家の寺そのものの継承。周囲の総意ではなく、自分の意思で選ばないと決めた。

家業を継ぐかどうかの悩みは、しばしばオール・オア・ナッシングに見えますが、実際にはその間に、いくつもの選び方が広がっています。

後悔しない基準を、自分の中に持つ

もうひとつ、僧侶顧問・鈴木秀彰の決断を支えたのは「自分が死ぬときに後悔しない道はどれか」という問いでした。他人の評価や、その場の空気ではなく、人生の最後から今を見たときに納得できるかどうか。この基準を自分の内側に持てたことで、周囲の総意と違う道を選んでも、揺らがずにいられたといいます。家業をめぐる決断に限らず、大きな岐路で迷ったとき、「他人がどう思うか」ではなく「自分が後で後悔しないか」を軸に置くことは、静かな支えになります。

迷っているあなたへ

いま家業を継ぐかどうかで悩んでいる人に、僧侶顧問・鈴木秀彰の経験が伝えるのは、「早く結論を出しなさい」ということではありません。むしろ、周囲がそろって同じことを言うときほど、いったん立ち止まっていい、ということです。反対意見がないことは、正解が一つしかないことを意味しません。相談は大切ですが、集めた意見はあくまで材料であって、最後に選ぶのは自分自身です。誰の答えでもなく、自分の答えで進むと決めたとき、背負っていた重さは少し軽くなり、次の一歩が見えてきます。

まとめ――誰の答えで生きるのかを、自分に問う

家業を継ぐかどうかの悩みの中心には、しばしば「周囲の総意」という見えない圧力があります。誰も反対しないからこそ、違う道を選びにくい。鈴木秀彰も、相談する誰もが「継ぐべきだ」と言う状況のなかで、自分を周囲の枠に納めようとして動けなくなりました。そこから抜け出す鍵は、新しい正解を探すことではなく、「他人の答えではなく、自分で選んでいい」と自分に許すことでした。継ぐにせよ継がないにせよ、その手前で「これは自分が選んだ答えか」を問い直す。その一歩が、鎧を脱ぎ、次へ進む力になります。

「継ぐか、継がないか」「このまま働き続けるか、変えるか」——人生の大きな選択の奥には、たいてい「自分はどう生き、どう働きたいのか」という問いが隠れています。僧侶顧問は、経営者や社員一人ひとりが、周囲の期待や立場の奥にある本音と向き合い、自分の言葉で選び直していくための対話の場をつくります。誰かの答えではなく、自分の答えで進みたいと感じたら、その対話から、ご一緒させてください。

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