僧侶顧問・鈴木秀彰は、「もし空海が今生きていたら、会社や企業に足を向け、何らかの関わりを持ち、自分の役割やポジションを作っていったのではないか」と見立てています。その根拠は、本来の釈迦は「死んでいる方より生きている人に関わる」ことを大事にしていたという彼自身の理解です。生きている人がいる場所は、いまの時代なら会社や企業である。だから彼は僧侶顧問という仕事を作りました。
これは、僧侶顧問の代表・鈴木秀彰自身の語りにもとづくコラムです。僧侶と企業。この二つは、多くの方にとって結びつきにくい組み合わせかもしれません。けれど鈴木の中では、両者は無理なくつながっています。その発想の源には、彼自身の「僧侶とは何か」という問い直しがありました。(2026年7月時点)
僧侶になりたかったのか?——「全くその逆でした」
なりたくなかった、という出発点
「私にとって僧侶とは」という問いに対する鈴木秀彰の答えは、「なりたかった」ではなく「なりたくなかった」でした。
「僧侶になりたかったと綺麗に言いたいところですが、全くその逆で、学生時代は本当になりたくなかった。」(鈴木秀彰)
実家はお寺で、父は僧侶。一人っ子だった彼は、僧侶という役割を誰よりも身近に見て育ちました。興味深いのは、父母から一度も「継げ」と言われたことがない、という点です。それでも周囲のお檀家さんや環境は、彼をすでに「後継者」として扱っていました。言葉で命じられなくても、立場は先回りして用意されている。その居心地の悪さが、彼の出発点にあります。
命じられていれば、反発する相手がはっきりします。けれど誰も何も言わないまま、周囲の前提だけが静かに固まっていくとき、反発の向け先は見つかりません。彼が抱えたのは、そういう種類の居心地の悪さでした。
副業をしながら僧侶を続けた父の姿
田舎のお寺だったこともあり、父は僧侶でありながら別の仕事をして生計を立てていました。子どもだった鈴木は、その姿に反発を覚えたこともあったと率直に語ります。
ただし彼は今、その受け止め方を変えています。父のそうした葛藤の姿こそが、「お坊さんとは何か」を考えるきっかけをくれたのだ、と捉え直しているのです。本人は「一休さんじゃないですけど」と笑いながら、この転回を語ります。反発は、否定のまま終わりませんでした。問いの入り口になったのです。
付け加えれば、これは父を批判する話ではありません。むしろ逆で、当時は反発でしかなかったものが、時間を経て理解に変わったという話です。目の前で葛藤する大人がいたからこそ、彼は役割というものを自分の頭で考えることになりました。
もし父が、何の迷いもなく完成された僧侶として振る舞っていたら、どうだったでしょうか。おそらく鈴木にとって僧侶とは「そういうもの」であり、問う対象にはならなかったはずです。揺れている姿を間近で見たからこそ、「そもそもお坊さんとは何をする人なのか」という問いが立ち上がりました。反発は、無関心の反対側にあります。どうでもよければ、反発すら起きません。
鈴木秀彰にとって「僧侶とは何か」?
亡くなった後の役割と、生きている人に関わる役割
鈴木の僧侶観は、二つの役割を分けたうえで、どちらも大事にするという形をとっています。
| 亡くなった後の役割 | 葬儀など、亡くなった方を弔う仕事。僧侶にしかできない大事な役割だと鈴木は明言する。 |
|---|---|
| 生きている人に関わる役割 | 本来の釈迦は「死んでいる方より生きている人に関わる」ことをすごく大事にしていた、というのが鈴木の理解。 |
「本来のお釈迦さんを見ると、死んでいる方より生きている人に関わるということをすごく大事にしていた。」(鈴木秀彰)
ここで大切なのは、彼が前者を否定していないことです。弔いの役割は僧侶にしかできない大事な仕事だと彼ははっきり言います。そのうえで、そこに収まりきらないもう一つの役割——生きている人のそばにいること——を見いだしている。足し算であって、引き算ではありません。
※釈迦や空海についての記述は、いずれも鈴木秀彰本人の解釈・見立てです。仏教の教義を一般化して断定するものではありません。
なぜ「空海なら企業に足を向けた」と考えるのか?
生きている人がいる場所は、いまの時代なら会社だから
鈴木の宗派は真言宗であり、その宗祖は弘法大師・空海です。自らの宗派の宗祖について、彼はこんな見立てを口にします。
「空海が生きていたら、おそらく会社だったり企業に足を向けて……自分の役割・ポジションを作っていったんじゃないか。」(鈴木秀彰)
この見立ての筋道はシンプルです。僧侶が生きている人に関わる役割を持つのなら、いま生きている人が最も多くの時間を過ごしている場所に行くはずだ。それは現代においては、会社や企業である——。だから空海なら、顧問という形ではないにせよ、何らかの関わり方を自分で作り出したのではないか、と彼は考えます。
そして鈴木自身が、その見立てを自分に適用しました。生きている人がいる場所に関わるために、企業に関わる僧侶顧問という仕事を作ったのです。役割が用意されていないなら、作ればいい。それは、後継者という既製の立場を居心地悪く感じてきた人ならではの発想かもしれません。
なりたくなかったからこそ、自分で定義し直せた
「なりたくなかった」という出発点は、この話の弱点ではなく、むしろ核心です。周囲から与えられた「後継者」という枠に素直に収まっていたら、僧侶の役割は最初から決まったものとして受け取られていたはずです。
そうならなかったからこそ、鈴木は「僧侶とは何か」を自分で問い、自分の解釈で定義し直すことになりました。外からの期待ではなく、自分の理解にもとづいて役割を選び直す。僧侶顧問という仕事は、その問い直しの結果として生まれています。
ここには、家業や継承に限らない普遍性があるように思います。周囲が用意した肩書きにそのまま座れる人は、その役割の意味を問わずに済みます。座れなかった人だけが、「この役割は何のためにあるのか」を考えざるを得ません。鈴木にとって「なりたくなかった」は、遠回りではなく、役割を自分のものにするための必要な回り道でした。
そして彼が出した答えは、僧侶をやめることではありませんでした。僧侶であることの意味を作り直すことでした。継ぐか継がないか、という二択の外側に、三つ目の道を自分で引いたのです。
まとめ——役割は、与えられるものではなく作り直せるもの
鈴木秀彰は、学生時代には僧侶に本当になりたくなかったと語ります。父母から「継げ」と言われないまま、周囲からは後継者として扱われる。副業をしながら僧侶を続ける父の姿に反発した——けれど今は、その姿こそが「お坊さんとは何か」を考えるきっかけだったと捉え直しています。彼の僧侶観は、弔いの役割を大事にしたうえで、本来の釈迦が大事にしていた「生きている人に関わる」役割を見いだすものです。その延長として、彼はこう見立てます。空海が今生きていたら、生きている人がいる場所——会社や企業に足を向けたのではないか、と。
僧侶顧問は、生きている人がいる場所に僧侶が関わる、という発想から生まれた仕事です。経営者や事業に関わる方の隣で、鈴木秀彰が一人の個人として伴走します。
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